ばかみたい、と思う。もう彼が守るべきものは何もなくて、無くなってしまって、唯一残っているわたしだって、守る価値をなくしてしまったのに。
それなのに彼はわたしの側にいて、忙しそうに動き回って、いつの間にか命の危険は過ぎ去っていて、わたしはこんな所にぼうっと座っていられる。なぜこんなにも尽くしてくれるのか、わけが分からない。彼が守るべきだった『わたし』は消えてなくなってしまったのに。それなのになぜ、側にいてくれるのか。もう誰もいないのに。わたし以外に誰もいないのに。
「殿下、ご不快でしょうが、しばらくここに潜伏していただく事になります。差し当たっての生活のお世話は、失礼ながら自分が。本来ならば侍女をお付けするところですが、人材不足でそれすらままならないのです。ご理解のほどを」
今のわたしを殿下と呼ぶなんて、可笑しくて仕方ない。何が殿下だというの。もう国はなくなってしまった。今のわたしは、ただの『昔、王族だった女』だというのに。そんな者にどんな待遇をしようと、もう文句をいうひとはいないし、わたし自身何も言うつもりはないのに、それでも彼はわたしを王女として扱おうとする。可笑しくて仕方がない。
「…何でもいいわ。貴方に任せます」
可笑しくて可笑しくて仕方がないのに、開いた口からはただの一声も笑い声が漏れてこない。出るのはざらついた声ばかりで、はじめはそれが自分の口から出ているのだと気付かなかったくらいだった。
ほら、こんなところまで、王女様とは程遠い。あの幸せだった日々は過ぎ去って二度と帰って来ることはなく、これからは擦れた声で過ごす日々が始まるのだ。それどころか、生きていく事すら難しいかもしれない。見つかったら殺されて、亡骸すら消されてしまって、わたしが生きていた形跡など何も残らないのだろう。
「…でも、ひとつだけお願いがあるの。わたしを、殿下なんて呼ばないで」
もうどうなってもいい、と思う。さすがに今すぐ死ねと言われたら躊躇するかもしれないけれど、三日間の猶予をもらえるなら、死んでみせるくらいのことはできる。だって、今のわたしには何もない。愛したひとは殺され、信じた者には裏切られ、国は奪われた。わたしが生きる意味はない。だからせめて、かつての呼び名で呼ぶのは止めてちょうだい。これ以上惨めになりたくはない。
「殿下は、殿下です。…アーシェ殿下」
気付けば彼はわたしの側にひざを付いて、ちょうど目線が合うようになっていた。そういえば、とても長いあいだ共に過ごしていたというのに、こうして同じ高さで言葉を交わすことなんて無かったような気がする。それは、彼が騎士でわたしが王女だったからなのだろうか。では、今わたしのことを殿下と呼び、視線を交わしているこの男は誰なのだろう。
「…もう、国もなくなってしまったのに?」
かさかさに乾いた声で問いかければ、「失礼」という言葉と共に、彼の手がわたしの顔を包み、そのままじっと見つめられる。普段なら考えられない体勢だったけれども、何故だかひどく落ち着いた。頬に当てられた手から伝わる温もりに、思わずほうっと息をつく。
「近い将来、ダルマスカの民が殿下を必要とする日が、必ずやって来ます。その時が来るまで、殿下はダルマスカを背負って立つのだという自負をお忘れになってはいけません」
ダルマスカが、わたしを必要とする。そんな時が、本当に訪れるのだろうか。そして、仮に訪れるとしても、それまでわたしたちは生きていられるのだろうか。たくさんのひとが死に、ダルマスカを支えてくれていた人々の多くを失った。いま残されているのは、本当に一握りだけだというのに。
「もう、皆いなくなってしまったのに?わたしと貴方だけで、やっていけるというの?…バッシュが」
気がつけば、わたしの瞳からは涙がぼろぼろと零れていた。自分の中にこれだけの水分が残されていたのか、と驚くほどの勢いで、それは止めどなく流れつづける。
「…バッシュまでが、裏切ったというのに」
彼と共にわたしを守ると言ったバッシュは、もういない。わたしの父である国王陛下を弑し、アルケイディアに捕らえられたと聞く。守るどころか、バッシュは主君に──ひいては、わたしに牙を剥いたのだ。あれほど忠実だったバッシュまでが裏切った。わたしは、もう何を信じていいのか分からない。
ただひたすらに頬をつたう涙を、彼が指の腹で拭ってくれる。その感触に伏せていた目を上げると、再び彼の真摯な瞳とぶつかった。
「自分はけして裏切りません。どんなことがあっても、…殿下をお守りいたします」
わたしはかつて、これと同じ言葉を聞いたことがある。そのとき彼の横にはバッシュがいて、彼ら二人がいてくれるなら、どんな状況をも乗り越えていけるだろうと心強く思ったものだった。しかし今、彼の傍らに立つひとはいない。ここには、彼とわたしの二人しかいない。
「貴方の、…貴方の言葉を、信じても良いの?」
信じたい。疑いや、不安や、すべてのそういったものを放り出して、目の前でわたしを見ているこの男を信じてしまいたい。ばかげていようと、何だろうと構わない。彼の言う『近い将来』のために動きだすことが出来たなら。
「どうか、お信じください。…アーシェ殿下」


そう言って見つめる男の瞳から、わたしは目を離す事ができなかった。


まず最初にひとつ言いたいこと
ウォースラ×アーシェではありません、よ…?
そして会話と思考が不自然に噛み合ってない所がありますが、
一応そこは故意ですので…

ブラウザを閉じてお戻りください