そうっと騎士たちの控え室を覗くと、そこにはバッシュがひとりでボーッと座っているだけで、他に人影は見当たらなかった。わたしは、何て好都合なのかしら!と思って、こそこそ物陰へ移動すると、そこからバッシュに話しかける。
「…バッシュ、バッシュ」
「…………」
返事はない。相変わらずバッシュはボーッと座っていて、身動き一つしやしなかった。こんな距離で声をかけられても気付かないなんて普通じゃない。少なくとも騎士としては普通じゃない。わたしは無性に苛々して、もう少し大きな声でバッシュを呼んだ。
「バッシュってば!」
するとようやく気付いたのか、バッシュがこちらを向いた。しばらく何か探すようにしていたけれど、やがてわたしを見つけたのか、目線を合わせて口を開く。
「…アーシェ殿下?」
わたしはそれにニッコリ笑って応えて、バッシュを近くに手招きする。するとバッシュは身を屈めてひょこひょこと近づいてきて、それがとても格好悪くて、けれど妙に似合っていたものだから、また笑った。けれど笑ってばかりもいられないので、急いでバッシュに耳打ちをする。
「そうよ、ちょっと隠して!」
「…え、あの、殿下、隠す…とは一体」
身体を小さく畳んだまま、困惑した様子のバッシュがまた可笑しくて、ふつふつと込み上げてくる笑いを押さえながら、わたしは少し意地悪な気持ちになった。
「ウォースラに追われてるのよ!貴方、仮にも王族を見殺しにする気?」
そのときのバッシュの表情といったら、なかった。
ガシャガシャと鎧を鳴らしながら、息急き切ってウォースラが部屋に駆け込んでくる。何かを探すように部屋中を眺めたあと、そこに私の姿を認めると、いつにない慌てようで訊ねてきた。
「バッシュ、アーシェ殿下を見なかったか!?」
反射的に返事をしてしまいそうになるが、そのとき背後から強烈な視線を感じて、思いとどまることに成功する。私はここで、いつものように馬鹿正直にウォースラの問いに答えてはいけないのだ。
「……いや、見ていない」
「そうか。では、もしお見かけしたら俺が探していたとお伝えしてくれ!」
返事を聞いたウォースラは、納得したふうに頷くと、一秒も無駄にしてはいられないというように、足早に部屋を出て行いった。その後ろ姿を見ながら、私は自分の背後からの視線がいまだ緩められていない事実に溜め息をつく。
「……わかった」
「殿下」
「…行ったわね」
うるさい足音が遠のいていくのをしっかりと確認してから、わたしは物陰から頭を出す。そうすると目の前にバッシュの困ったような顔が大きく映し出されて、思わず少し吹き出してしまった。何と言うか、ものすごく間抜けだ。
「本当に、よろしかったのでしょうか」
「いいのよ。私がいいって言うんだから」
妙に困惑顔の似合うバッシュがそのままの表情で口を開き、わたしはそれに笑顔で返事をする。きっと端から見れば、たいそう面白い図が出来上がっているに違いない。物陰に隠れる小さな女の子と、その側にしゃがんで困り顔の男。微笑み続けるわたしに、バッシュは首をかしげていたけれど、しばらくすると気を取り直したというふうにして問いかけてきた。
「…それで、殿下。何故ウォースラに追いかけられているのです?」
「……ええと」
予想外に、バッシュは不必要なところだけ鋭かった。
「殿下。きちんと仰って下さいませんと、私としましても殿下をお助けできません」
「ううん…」
「殿下」
しかも、不必要なところだけしつこい。嫌な性格。だから出世できないんだわ!
結構な時間をにらみ合いに費やして、さすがに現役軍人の眼力には敵わない、という事だけが分かって、もう仕方がないので、わたしは本当のことを話すことにする。まあ、いつかはバレることだものね。逃亡犯だものね。今のうちに仲間に引き込んでおいた方がお得よね。
「……だって、ウォースラが叱るんだもの」
わたしは、思い切り可憐な表情を浮かべて、そのままふいっと視線を斜め下に流した。こうすると、大抵の大人は何かを堪えるような顔になって、最後には言うことを聞いてくれる。…ということを、わたしは経験上知っている。もちろん例外はいるけれども。例えば、ウォースラとかウォースラとかね。
「叱る?彼が、殿下を?」
「そうよ!ウォースラはここの所、私に護身術やら市中に出たときの振る舞い方やらを教えてくれているの。そうしたら、あの人ったら張り切っちゃって、必要以上に厳しくするのよ。嫌になるわ」
「…ウォースラが、そんなことを教えられるとは…」
意外、といった表情のバッシュを見ていると、妙に楽しくなってきて、こうなったら何でも喋ってやれという気分になった。そこでわたしは口を開いて、息が続くかぎりにウォースラのバックグラウンドを暴露することを決意する。
「あら、意外と何でもするのよ、ウォースラは。バッシュはまだ知らなかったかしら?あの人ってねぇ、ああ見えて貴族の次男坊なのよ。だから『いざ』って時の対応は叩き込まれてるのよね。それで私の教師役を言いつけられて、…ああ腹立たしいわ!」
「はあ、私はランディスの出身なもので、そういう事情には疎く…」
「ウォースラってば、軍の訓練かなにかと勘違いしてるんじゃないかしら!私は新入りの兵士じゃないわ!女の子よ!あんなに叱らなくてもよさそうなものだわ!」
予想通り、バッシュは今話したことは何も知らなかったらしく、いきなり新情報を詰め込まれて目を白黒させている。面白い。わたしはもっと気分が良くなって、舌の滑りも良くなって、ある事ない事どんどん喋る。バッシュは目を白黒させ続ける。とても面白い。
「…殿下、あまり大きな声を出されますと」
「バッシュ!今ここで殿下の声が聞こえなかったか!」
またしても、ウォースラが足音を響かせながら部屋に駆け込んできた。心なしか先程より鬼気迫った顔になっていて、少し不憫に思う。しかし相変わらず背後の視線は鋭くて、ちくちくと刺さるようで、私はそれに屈伏するしかない。すまないウォースラ、私は本当に不甲斐ない男だ。
「……俺には聞こえなかった。空耳じゃないか?」
「いや、確かに聞こえたのだ。もしかしたら近くに居られるのかもしれん…お前も気をつけておいてくれ」
ウォースラは私の言葉に首をかしげながら、どこか釈然としない顔であたりを見回している。しかし周りに何も見いだす事ができずに、そのまま踵を返して出ていった。その姿を見送りながら、私はこっそり溜め息をつく。なぜか成り行き上、殿下の逃げ隠れを助けてしまっている。私は本当に流されやすい男だ。
「……ああ、もちろんだ」
「意外と間抜けね。あんなので軍人が勤まるのかしら?」
頃合いを見はからって顔を出すと、今度はすこし咎めるような顔をしたバッシュと目が合った。
「ウォースラは素晴らしい戦士ですよ、殿下」
「そう。でも日常がアレじゃあ困りものね」
「……殿下」
「あら、バッシュまでそんな顔しないでちょうだい。まるでウォースラに叱られてるみたいだわ」
せっかく鬼教師から逃げてきたというのに、今度は違うひとに小言を言われては何にもならない。せめて今くらい、何も気にせず楽しく過ごしたいと思う。たとえば、目の前のバッシュをからかうとか、そういった類いの遊びに興じるなどして。
「…殿下、ウォースラが探しています」
「知ってるわ。だから隠れてるんじゃない」
相変わらず真面目な顔のバッシュに見つめられて、わたしは何故だか、ものすごく悪い事をしているような気分になる。それを無視して突き放しても、今度は縋るような目つきをされて、ますます罪悪感に苛まれるだけだ。何と言うか、バッシュにはひとの中にある良心の塊をくすぐる雰囲気がある。
「このままでは、彼はそのうち床石を剥がして、その下まで探し出しかねません」
「そうでしょうね。真面目だものね」
「殿下」
何でバッシュはこんなに他人様の顔を凝視できるのかしら。信じられない。普通だったらさすがに気恥ずかしくて目を離すと思う。でもバッシュは飽きる事なくわたしの目を、というより眼球を凝視しつづけている。恥ずかしい。バッシュではなく、わたしのほうが。
「…わかってる、わよ!だって居心地がいいんだもの!もう少し──」
「バッシュ!やはり殿下のお声が聞こえた!」
今度こそ、という気迫をにじませた形相で、ウォースラが部屋に突入してきた。(これは比喩でなく、そのときのウォースラは本当に戦場さながらの突進を見せた)そのあまりの勢いに気圧された私は、しばらく取り繕うのを忘れて放心する。
「……あ、ええと」
ウォースラは惚けている私を見つけると、もう我慢ならないというように睨みつけ、大声でもって罵倒し始める。俺がこれだけ探しているのに、手伝うでもなくぼーっとしているとは何様のつもりだとか、あれだけ殿下の声を聞いているのだから、すこしは探してみようと思わないのか、とか。
「きっとお前が気付かないだけで、すぐ近くにいらっしゃるのだ!」
彼の言い分はとても正しくて、もう反論する気も起きない。なにしろ、半分が真実を言い当てている。しかし私は動かなかったのではなく、動けなかったのだ。ただ怠けていたわけではない。
「あー…と、そう…だなあ」
だが、この状況では自己弁護のために取り繕う事さえできない。相変わらず背後の視線は鋭く、無言のうちに私の行動を制限している。私としては立ち尽くすしかないのだ。やがて、その煮えきらない態度に痺れを切らしたのか、とうとうウォースラは鬼のような形相で私に迫った。
「すこしこの部屋を探すぞ!お前も手伝え!」
それはまずい。
「…ウォースラ!」
「何だ?」
とにかくウォースラを止めなければ、と思った私は、とりあえず彼の名を呼んで意識をこちらに向ける事に成功する。…次は何だ。何を言えばいい?あいにくと私は豊富な話題の持ち主ではない。どこかにウォースラが思わず食いついてくるような、意外性のある話はないか?
「ウォースラ、…そう。そうだ。お前、じつは貴族の次男坊らしいな!」
とっさに口を付いて出たのは、ついさっき殿下に教えられたばかりの、ウォースラの生家の話だった。意外性のかけらもない。
「……そうだが。俺がそんな話をしたことがあったか?」
「え?あー…ええと…」
「そんな話、俺が同僚にペラペラ話すとも思えない。誰に聞いた?」
「ううん、誰だったか…」
「誰に聞いたんだ?」
「えー…と」
意外性は無かったが、ウォースラはこの話題に食い付いてきた。殿下を探す事もそっちのけの食い付きようだ。実家に何か思うところでもあるのだろうか。…いや、そんなことはどうでもいい。いま重要なのは、ウォースラの注意をそらすことには成功したが、今度は別の意味で危機に陥っているこの状況だ。おおいに話題選択を間違った。慣れないことをするものではない。
「……ぷっ」
私がしどろもどろになっていると、背後から小さな笑い声が聞こえた。殿下だ。たのむから気付かないでくれと思うが、願いも空しく、ウォースラはその声を耳聡く聞きつける。
「まただ!殿下のお声がした!」
「…ふふ、ふっ」
「ほら、今度こそお前にも聞こえただろう!バッシュ!」
「あはははは!」
愛らしい、大きな笑い声が部屋中に響いて、私は『終わった』と思った。
「あはは、もう、もう駄目…お腹が痛い」
長く笑いをこらえたせいでズキズキするお腹を抱えながら、今まで隠れていた物陰から這いずり出た。すると新鮮な空気が肺に流れ込んできて、とても心地よくて、より一層大声で笑いたくなる。
「殿下!そんな所に…」
やっとわたしを見つけたウォースラが、怖い顔をしてわたしを咎めようとしているけれど、そんなこと知るものか。今更そんな顔されても怖くも何ともない。今日の一件で大の男二人の情けない姿をこれでもかと見て満足で、ちょっとくらいウォースラが怒ったって、どうでもいいやという気分になっている。
「いいわ、戻る、戻ります。もう…ああ可笑しいったら!」
「腹痛がなさるのなら、医者を呼ばなければ!」
「そんなことも分からないの?ただの笑いすぎよ…大丈夫…あはははは!」
「殿下!」
かなりの勢いで空回っているウォースラが可笑しくて、状況があまり理解できていなくてポカンとしているバッシュが面白くて、わたしはけらけら笑いつづける。ああ、愉快で愉快で仕方がない。こんなに腹の底から笑ったのはいつ以来だろう?
「はあ、お…面白かった。あなたたちって、いつもこうなの?今度からわたしの護衛に来るときは、二人揃って来るといいわ!退屈しなくてすむわ!」
「……ええ?」
わけが分からない、といった様子で顔を見合わせる二人を見てニッコリ笑ったあと、わたしはウォースラの手を引いて走り出す。
「さあ戻りましょうウォースラ。お稽古の続きをしなくては。…ああ、そんな顔しないでちょうだい。もう逃げないから」
ぱたぱたと中庭を駈けながら、わたしはふと思いついたことを話す事にした。斜め上のウォースラを見上げれば、彼は何か腑に落ちない顔のまま、黙って付いてきている。
「ねえ、でも、ちょっとだけ思わない?わたしって隠れる才能があるんじゃないかしら。もし将来なにかから逃げ回る事になっても、きっと平気ね。あなたたちが居てくれるし、心強さ倍増だわ」
そう言うと、ウォースラは微妙な顔になって、一度ううんと唸ったあと、どんなことがあろうと自分とバッシュは殿下をお守りいたします、とか何とかと生真面目な答えを返した。わたしはそれがまた面白くて、笑いの発作に襲われて、走りながら大声で笑った。そうすると脇腹がとても痛かったけれど、そんな自分の状況までが可笑しくて、笑いは一向に止まらない。げらげら笑いながら城を走る王女と、王女に手を引かれる騎士の姿は人々の関心をいたく惹いたらしくて、この一件のことはわりと後々まで語り継がれることとなった。これは余談だけれども、わたしは意外な場面でその話を聞く度に、ありありと今日の一件を思い出し、こらえがたい笑いに苛まれることとなる。
ああ、この幸せがいつまでも続きますように!
コメディちっくを目指したもの。
ひたすらドタバタしている話を書きたかった。
ちなみに、途中で出てくる
ウォースラの生い立ちは全くのデタラメです。
副題・『王女様と忠犬』ブラウザを閉じてお戻りください