兄はとても早起きなひとだった。例えではなく、本当に夜明け近くから起きだして、何やかやとし始めることさえあった。そのため、幼かった僕は、兄が眠りにつくところも目覚めるところも見たことがなく、かなり大きくなるまで、兄は眠りを必要としないひとなのだ、と思っていたくらいだ。
もちろん、そんなことがあるはずもなく、やがて僕は真実を知ることとなるのだが。
むかし、珍しく暗いうちに目を覚ましたことがある。どうやら廊下で足音がしたせいで起きたらしい。その足音の主を確認したくなった僕が部屋の戸を開けると、そこには丁度兄が歩いてくる所だった。そして僕の姿をみとめた兄は、静かに夜の挨拶をしたのだ。そのときの時刻は、遅い夜というより早い朝に近かった。僕が腰を抜かすほど驚いたのは言うまでもない。
兄上はいつも、この時間まで起きておられるのですか、と問えば、そうだ、と答えが帰ってくる。では朝は何時にお目覚めになるのですか、と聞けば、とんでもなく早い時刻を示される。
僕は再び驚いた。兄は睡眠をとらないわけではなかったが、限りなくそれに近い生活を送っていたのだ。そのとき僕のなかで、ある心配が頭をもたげた。そんな時間に起きていたのでは、兄上に目覚めの紅茶を差し上げるひとがいないのではないか?
その頃の僕は、目覚めとともに運ばれてくる紅茶をいただいてから起きるという習慣を持っていた。要するに子供を甘やかしていただけなのだが、それが一般的な風習だと信じて疑わなかった僕は、兄が朝の紅茶をいただけないなんてことがあるなら大変だと思ったのだ。
もちろん、それを知らない兄は、訝しげな顔をして、そんな事はしたことがないと正直に答えた。当たり前である。しかし、その頃の僕にとって、それは非常事態だったのだ。兄上が、あの心地よい習慣を持っていないなんて!
僕は慌てて、それは大変です、今度から僕が兄上に紅茶を煎れて差し上げます、と言った。兄は、子供には睡眠がとても重要だから、私は気にせず寝ていなさいとか何とか言ったが、僕はそんなこと聞いていなかった。一人で盛り上がってしまっていたのだ。なにせ子供というのはそういう傾向を持っている。
兄はしばらく説得を試みていたが、どうやら無駄だと悟ると、では試しに明朝、私の部屋へ来てみなさいと言った。どうせ無理だとふんだのだろう。しかし僕は幼い頃から、やると言ったらやる子供だった。許しを得た僕は目を輝かせ、では明朝うかがいますと言った。
そして明朝、僕は本当にそれをやってのけた。兄が起きる時間より前に起き、見よう見真似で紅茶を煎れて、兄の部屋まで運んだのだ。
部屋に入ったとき(兄は律儀にも、約束を守って部屋の鍵を開けていた)、兄はまだ眠っていて、僕は生まれて初めて兄の眠る姿を見た。そして兄が目覚める姿も。
起きてすぐ、目の前に僕がいるのを確認した兄は、一瞬だけものすごく間抜けな顔をした。しかしすぐに取り澄ました顔になると、何でもないように朝の挨拶をする。そして僕が手渡した紅茶を受け取り、丁寧に礼を言ってから、静かに飲み始めた。
僕もついでに自分用の紅茶を注いで、兄の隣に腰掛けて飲んだ。少し香りが足りなかったが、初めてにしては上出来だと言えるだろう。
横目でちらりと兄の方をうかがえば、兄もこちらを見ているところで、互いの視線が交わった。兄は無言で軽くうなずく。僕は嬉しくなって、にこにこしながら薄い紅茶を飲んだ。
兄は自分の分をすべて飲みおわっても立ち上がらなかった。どうも僕が飲み終えるのを待っていてくれるらしい。僕はまた嬉しくなった。そして猫舌のふりをして、わざとふうふう冷ましながら、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
ほとんど中身がなくなったカップを持ってだらだらしていると、さすがに不審に思ったのか、兄が口を開いた。そんなに冷めてしまっては不味いのではないか、とか何とかと。けれども僕は、そんなことはありません、と答えた。
たしかに、温くなった紅茶は最初から微かだった香りを失って、ただの色水と化していたけれども、それでもやはり美味しく感じた。最後の一滴を飲み干すのを、思わずためらうくらいには。
仲良し帝国兄弟。
兄上だいすきラーサー。お兄ちゃんメロメロ。
そんな過去もあったらいい。
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