はっきり言って、軍議で何を聞かれて何と答えたのか、そのあたりのことを私はさっぱり覚えていない。覚えているのは、目の前に置かれたコップの形だとか、机の木目だとか、思っていたより多かった自分の手のタコだとか、そんなものばかりだ。要するに、まったく上の空であったし、顔を上げることなく下ばかり見ていたということだ。
これは後から聞いた話だが、私を呼び出した上官たちは、私の失礼極まりない体勢は、初めての敗戦を恥じているためにあるものだと、好意的…かどうかは知らないが、とにかく一定の理解を示し、何も言わないでいてくれたらしい。
しかし残念ながら、私はそんなしおらしい感情を抱いてはいなかった。真相は別のところにあったのだ。それは、顔を上げると否応なくバッシュの顔が目に入ってくるという、ただそれだけのことだったのだが。けれどもその時の私の頭は、悪夢だと思っていたら事実だったらしい昨夜の出来事と、今朝のバッシュの置き手紙と、偶然の一致という可能性にかける一抹の望みで占められていて、他のことを考慮する余裕を持たなかった。つまり、私はバッシュと目を合わせたくないがために、不謹慎にも軍議中ずっと女々しく下を向いていたのだ。
そして気付くと軍議は終っていたらしく、私は誰かに肩を叩かれてそれを知った。顔を上げるとそこにはバッシュがいて、何故か眉間にしわをよせて、ふるふると首を振っている。わざわざ避けていたはずの、いま最も見たくないその姿を目にした途端、周囲に強い酒の臭気を感じて、それが自分の妄想だと分かっていても身体が震えた。
こうなることが恐ろしかったのだ。

逃げるようにその場を去って、足早に執務室へと向かう。辿りつくと、その場に控えている副官に、しばらく誰も取り次ぐなと申しつけて扉を閉めた。副官は困惑したふうだったが、とにかく頷くのを視界の端で確認する。
扉によりかかるようにして床の上に座り込み、腹の底から絞り出すような溜め息をひとつついた。ずいぶんと低い視界を確認して、今日の自分は床と相性がいいらしい、と苦笑する。そんな下らないことを思って笑っている場合ではないのだが、どうにも思考が現実逃避の方向へ進みがちだった。
…本当に、こんなことをしている場合ではないのだ。片づけるべき仕事が山積みになっているのだし、上官たちへの説明も中途半端なまま放ったらかしてきたのだし、なにより犠牲になった部下たちの供養をしなければならない。こんなことを、…自分のことにかまけている場合ではない。
それなのに、いま私の頭を占めていることといえば何だ。自分のことばかり、自分のことで頭がいっぱいではないか。バッシュがどうした。私とバッシュがどんな奇怪な関係に陥ろうと、そんなことは他の奴の知ったことではない。私は、自分の置かれている状況に関わらず、いま求められている働きをしなければならないのだ。
…だというのに、私は。
「…アズラス将軍」
あまりの情けなさに頭を抱えた瞬間に背後から声をかけられて、やや気分を悪くして返事をする。今度は何だ。こうして引きこもっていても何も変わらないのは嫌というほど分かっているが、今は何も見たくないし聞きたくもないのだ。
「何だ。…誰も取り次ぐなと言っただろう」
「しかし、どうしてもとの事ですので…」
「まさかバッシュじゃないだろうな。奴なら絶対に会わんぞ」
「いえ、ローゼンバーグ将軍ではありません」
副官のその言葉に、私はほっと胸をなで下ろす。それならば、これ以上に状況が悪くなることはないだろう。
「とにかく追い返せ。私は今、人と会う気分じゃない」
「そういうわけには…まいりません。アズラス将軍」
「何だ。そいつはそんなに偉いのか!」
苛々と床石を叩きながら背後の副官に向かって怒鳴ると、副官はびくりと振るえ上がったようだった。その様子を受けて、さすがに少々やりすぎたかと反省する。八つ当たりをしてはいけない。

扉を開けて暴言を詫びようと、ノブに手をかけたその瞬間。続く副官の言葉に私は凍りついた。
「…アーシェ殿下の、お呼びです」

物事は、一度勢いがつくとどこまでも転がり落ちていくものだ。


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なんだか相変わらず進歩のないウォースラ。
これで実家では
「武人たるもの、ひとに八つ当たりなどしてはなりません!」
とかって教えていたりしたらお笑いですね!
その教えは全くもって守られていませんよ残念ながら!(ニコ)