砂漠の夜は厳しい。昼間とは打って変わって気温が下がり、見渡すかぎりの砂海は黒く染まって視界を奪う。それだけならまだしも、この辺りは狂暴な魔物やら亜人やらの縄張りらしく、日が落ちてからも奴らが周辺をうろついている。そのため、ここで休息を取るには、絶えず火を焚いていなければならない。火は外敵を引き寄せる目印になるが、それ以上に、こちらが敵に気付くために不可欠だ。
絶やすことのできない火を守るには、寝ずの番が必要になる。それは誰もが嫌がる役目なのだが、ここのところウォースラは進んでその役をかって出ていた。
それは、特に奉仕の精神から出た行動ではない。そこには、もとが軍人なので夜に強いことも関係していたが、それ以上に一人で物事を考える時間が、今の自分には必要だと思ったからだった。日中はどうしても、目の前に現れる敵や周りの状況に気を取られてしまい、大きな視点で見たときに自分が何をすべきなのかということを忘れがちになってしまう。
パチパチとはぜる炎を見やりながら、ぼんやりとこれからの事を考える。明日になったら、できるだけ急いで砂海を抜けて王墓へと向かわなければならない。もう時間がないのだ。そこで暁の断片を手に入れて、…それから。
…それから、やるべきことは決まっている。決めたからこそ、ここへ来たのだ。それが他のどんなものより最善の策だと、そう思ったからこそ決心をしたのだ。そこに至るまでに散々考えもしたし、悩みもした。その上で決めたことだ。今更なにを迷う必要があるというのだ。やがて、ぱし、と一際おおきな音を立てて、火にくべた小枝がはぜた。見渡すかぎりの砂の海では、その音は意外なほど遠慮なく響いたので、思わずぐるりとあたりを確認する。…誰か起きてくる様子はなく、敵が近づいてくる気配もない。そのことにほうっと息をついて、火の番としての仕事に戻る。枝が折れたことで形が崩れた火を、手に持った棒で突いて調節してやると、炎はもとの大きさを取り戻した。そのまま燃えつづける火を眺めていると、自然、意識は思考のなかに沈んでいく。
…しかし、現に自分はどこかで迷いを感じている、と思う。それは、殿下と合流してから随分と経った今でも、殿下にありのままを申し上げることが出来ていない、この状況によく現れている。
殿下もお喜びになる、すべてが上手くいく、と考えるならば、今すぐにでもお伝えすれば良いことなのだ。それをしないということは頭の片隅で、…これは殿下の信頼を裏切る事になると、そう思っているのだろう。そして、いくらダルマスカのためとはいえ、そこまでする必要はあるのかと…迷っている。
──だが、それでも。その時、背後でさくさくと砂を踏む音がした。その音に素早く反応して、ウォースラは傍らの剣を握る。そしてゆっくりと振り返り、音のする方へと切っ先を向けた。
足音の主はだんだんと近づいて、とうとう剣のすぐ側までやってくる。それが誰であるのか、もうウォースラには分かっていたが、あえて武器を下ろすことはしなかった。見知った者だからといって警戒を怠ってはいけない。それは死を招く。化物のなかには姿形を変えるものもいるのだ。
「ウォースラ」
やがて、途方に暮れたような顔をしたバッシュが、自分に向けられた剣を掴み、それを横に押しやって、無遠慮にウォースラの隣までやってきた。そのまま何をするでもなくその場に腰を下ろし、燃えつづける火を見つめるバッシュを、ウォースラも特に追い払おうとはしない。
しばらく沈黙が続き、ぱちぱちと火のはぜる音だけが辺りに響いた。
「…やたらと、目が冴える」
やはり火に目を向けたまま、バッシュが小声でつぶやく。誰に言うでもなく発せられた言葉を、ウォースラは黙って聞いていた。
「ここは暗いな。あそこほどではないが、火がよく目立つ。…瞳に、焼きつくようだ」
バッシュは再び呟くと、折り畳んだ両足に頭全体をうずめるようにして顔を伏せた。自分で主張するように、火で眼が焼かれて辛かったのかもしれない。
しばらくウォースラは黙ってその様子を眺めていたが、やがてバッシュの伏せた顔の下から、何かを堪えるように呻く…いや、何かを威嚇するように唸る声が聞こえてきたため、訝しく思って声をかけた。しかし返事はなく、バッシュはただ唸り声を上げ続けている。
「バッシュ、どうした」
さすがに様子がおかしいと思って、何度か名を呼んでみても反応はなかった。唸るばかりのバッシュに痺れを切らし、ウォースラはバッシュの肩に手をかける。
「おい、」
その途端、それまで膝を抱えて唸るだけだったバッシュが飛び起きて、ウォースラの手を叩き落とした。ばちん、と大きな音が響いて、じんわりと鈍い痛みが手の甲に広がる。確認してみると、叩かれた部分がやや赤くなっていた。後から腫れてくるかもしれない。
「なにを…」
するんだ、と言いかけたところにバッシュの声が被さってきて、ウォースラは思わず口をつぐむ。あまりにも切羽詰まった声色と、常軌を逸したような目の色に、そうせざるを得なかった。
「嫌だ…ここは暗い、暗くて何も見えない!」
「…バッシュ?」
「ここは暗い…嫌だ…ここに居たいわけじゃない、嫌だ…」
「…………」
「嫌だ…」
ああ、とウォースラは息を吐いて、思わず目の前をてのひらで覆う。視界が黒く塗りつぶされると同時に、ぱきんと小枝のはぜる音が聞こえた。焚火の崩れる気配を感じたが、それを立て直そうと動くことはしない。おそらく、もう燃えつきる頃合なのだろう。
てのひらを退かせば視界が戻り、いまだバッシュは見えない何かに脅え、震えている。あの勇猛果敢なバッシュが、人前でこんな姿をさらしてまで恐れるもの。そうせざるをえない何か。深い闇の記憶。それを自分は知らない、とウォースラは思った。
そっと手を伸ばして、これ以上は出来ないだろうと思えるほどに優しく、壊れ物を扱うようにバッシュの肩を撫でる。その手が振り払われることはなく、バッシュは焦点の定まらない目でウォースラを見て、擦れるほど小さな声で呟いた。「怖い」
ああ、と再び息を吐いて、ウォースラは思う。帝国は、こんな男にまで深い傷を負わせている。その傷はまだ赤々として、じくじくと血を流し続けているというのに、自分は。
「バッシュ、落ち着け。…ここは、ナルビナではない」
そう言いながら背中を叩いてやると、バッシュは深く息を吐いて目を閉じる。再び目を開けたときには、そこに微かながら理性の光が読み取れた。
「…ウォースラ」
「ここは、ナルビナではない。誰もお前を捕らえない」
「ああ」
「誰も、お前を…捕らえたりはしないのだ」
わかっている、と呟いて、バッシュは崩れかけの焚火を見つめた。
バッシュの中に色濃く影を落とすものを垣間見て、ウォースラは今まで以上に自分の感情が揺れているのを感じた。バッシュのような男にまで、帝国は。…そして、その帝国と、自分は。
その考えを追いやるように、目を閉じて呼吸を繰り返す。たとえどんな事実があろうと、それは民と関係のないことだ。民は執政者の都合ですべてを左右される代わり、執政者がどんな状況に陥っても無視し、ときに非難する権利を持っている。いま自分に出来ることは、先の戦争で不遇を強いられたダルマスカの民に、どんな形であれ国を取り戻してやることだけではないのか。
…しかし、本当に民はそれを望むのだろうか。そして、自分は本当に民のことだけを考えて動いているのだろうか。傍らではバッシュが火を見つめながら、小刻みに震え続けている。そちらに目をやれば、バッシュはややばつが悪そうに、どうにも自分では止められないのだ、と笑った。
意外と神経細かったバッシュ。
意外と思慮深かったウォースラ。
もはやパラレルと言い切った方が良いかも知れない。
(いいんだ楽しいから!)そしてトラとかウマとかの描写は難しいなあ。
うかつに手を出すんじゃなかったと思うことだよ。ブラウザを閉じてお戻りください